こんにちは、シーラカンスです。
ゴールデンウィークということで、私の住む町では祭りが行われています。交通規制も敷かれ、人で混み合い、あちこちで渋滞もしています。
こういった日は、無理に外出せずに家にこもるに限りますね。私は一日中外に出ないことを「土踏まずの日」と呼んでいます。たまにはこんな休日も良いでしょう。
どうせ外に出掛けても混雑に巻き込まれるだけですから、家でブログを書くことにします。夜まで待ち、「混雑のピークにわざわざハマりに行かない」のも一つの戦略だと考えます。
せっかくですから、今回はお金について考えてみたいと思います。
■頑張りすぎずに働き、裏で投資・・・お金と心身を自衛しよう
私・シーラカンスは「自動車部品を運ぶトラックの運転手」をしています。
仕事柄、基本的には外で運転しているか、物流センターなどで積み下ろしをしています。私・シーラカンスは屋内でずっと働くのが苦手ですので、今の仕事は適職だと思います。
人間関係や、納入時間など、仕事ですから多少なりとも言いたいことはあるにせよ、「辞めてやる!!」というほど嫌な仕事ではありません。恐らく、定年まで今の会社に勤め続けるのだと思います。
私は個人的に、
「自分にとって、嫌な仕事ではない」
という観点は結構重要だと考えています。基本的にどんな会社も「ロクなもんじゃない」訳ですし、「完璧に自分好み」「一切悩みがない」なんて職場は無いからです。
だったら自分の中で折り合いがつく職場・・・つまり「そんなに嫌じゃない」職場で働くのが現実的な解じゃないかな、と思うのです。
もちろん仕事に対するモチベーションや労働観は人それぞれだと思います。
私・シーラカンスは、
・「仕事は、誰かが出来ないことを代わりにやってあげること」(=大型車の運転)
・「努力や根性はお客さんにとっては知ったことではない」(=結果が全て)
・「仕事はお金をもらうためにやるもの・・・無給だったら誰が来る?」
・「仕事にやりがいを求めるのはちょっとズレてる」
・「解雇するのは勝手だが、こちらも会社を見限る権利がある」
・「あくまでも対等な『雇用契約』」
・「会社で友達を作ろうなんて思わない」
と考えています。
私はプロとして仕事をします。会社はそれに見合った、常識的な給与を払います。
会社で友達を作る気もありません。ただ普通に挨拶を返してくれたら、それで十分です。
割と荒んだ労働観だと自分でも思いますが、会社を信じ切ってヘラヘラしているよりは健全でしょう。
私の場合・・・。
・会社が倒産して給料が未払いになった
・左手親指の労災をもみ消された(いまだに後遺症があります)
・左足に縫うレベルのケガを負ったのに病院に行けなかった(傷が残りました)
・パワハラに遭った
などといった特殊な経験をしてきました。
会社なんて、ハナから一切信用していないのです。
・・・何が言いたいか?
頑張りすぎず、自分にとって「嫌じゃない仕事」を細く長く続けて、少ないながらもコツコツと投資を続けよう!
ということです。
仕事は40年近く続きます。長期戦です。
細く長く働き、投資にお金を振り向け、複利のチカラを借りるのです。
これこそが「普通の会社員」にとって一番実現可能性のある方法だと考えます。
会社で人並みに働きながら、裏でこっそり投資を続けるのです(投資を職場で公言しても、良いことは何一つありません)。
また、頑張りすぎてはいけないのです。
身体や心を壊しても、会社は一切補償してはくれません。
使い捨てられるだけです。
他人の2倍働いたところで、給料は2倍にはなりません。
それどころか2倍の仕事量が「標準」と見なされ、ミスしたりパンクしようものなら
「使えない」
と言われるだけなのです・・・。
自分の心と身体を最優先に、「自分にとって嫌じゃない」仕事を細く長く続けて、裏で投資を続けましょう。
経済的に、自衛しましょう。
人生は短いかもしれませんが、社会人として働く40年間は、「複利効果を得られるくらいには長い」のです。
お金を投資に回し、「複利のチカラ」に頼りましょう。
会社は労働者を使い捨ての駒としか考えません。
駒にだって駒なりの人生があり、家族があり、意地があります。
投資を続けることで資産を育て、自衛しましょう。
倹約し、お金が残せるような生活スタイルを確立しましょう。
解雇されたとき、「破滅一直線」を回避できますから・・・。
■その時々の損益などどうでもいい
私は今アラサーであり、定年まで30年近く確保することができます。
定年を過ぎても再雇用で運転手を続けることができますし、夜間の運行管理者(アルコールチェックなどを担当する点呼係)としての仕事もあります。
私の会社の場合、再雇用であっても、給料は2割程度しか下がりません。他社では半減などという話も聞きますから、結構恵まれている方かもしれません。
私は恐らく、70歳くらいまでは勤務を続けると思います。
つまり、「資金ニーズは40年後」(70-30=40年)であり、私は急いでいないのです。
40年後までに、資産を作れていればいいわけです。
私・シーラカンスは毎月の給料日に株を買っています。
今後40年間ということは、
40年×12か月=480回
480回もの買い付けチャンスがあるわけです。さらに夏と冬のボーナスもありますから、さらにチャンスがあります。
そう考えると、多少の損失や高値掴みなど、全体に及ぼす影響は微々たるものとなります。多少割高な株を買おうが、買った後に損が出ようが、どうでもよくなります。
だって、40年後にうまくいっていれば、それでいいから。
多少タイミングを間違えても、どうせ、薄まります。心配ありません。
私・シーラカンスはそうした信念のもと、毎月買い増す銘柄は
「安くなった銘柄」
ではなく、
「その時自分が最も持っていない銘柄」
を選んでいます。基準はあくまでも「自分のポートフォリオがどうなのか」であり、「相場」とか「株価」などに翻弄されたくないからです。
このように、ある意味「結構突き放した距離感」で投資を続けています。投資についてずっと考えたところで、投資は私のことなど考えてくれません。
考え続けたところで、株価は上がらないのです。
投資への取り組み方としては結構雑かもしれませんが、今のところそれなりにうまくいっています。適切な距離感、大切ですね。
■「もともとなかったお金」
もし仮に私の保有銘柄がことごとく不祥事を起こしたり、あるいは戦争が起きたりどこかの国に併合されたりして全財産を凍結されたとしても。
株価が9割下がってしまっても。
私は一切、後悔しません。
元々「なかったお金」だからです。
もし株に出会っていなかったら、私は恐らく、給料全額を使ってしまっていたでしょう。多少貯金をするかもしれませんが、新車を買ったりなど「消費」することしか考えなかったと思います。
また以前から記事の中で「債務整理した経験がある」とお伝えしてきました・・・若さゆえの過ちですね。清算に3年以上かかりました。苦い経験です。
カードローンや消費者金融から借金し、その返済に追われていたかもしれません。
「なかったお金」
というのは、そういうことです。
本来であれば消費や借金返済に消えていたはずのお金だからです。
そもそも私は貧困層の出身であり、それを必死に隠しながら生きています。
「貧乏な生まれであっても資産は作れる」と証明できただけで、大きな成果です。
このまま続ければおそらく、3000万円くらいを投資することになります。
複利のチカラがありますから、定年する頃には6000~7000万円くらいになるようです。控えめな利益(40年で2倍)ですが、私にとっては十分です。
仮にすべてを失ったとしても、これほどの大金を扱い、運用するという「夢」を見られたわけですから後悔はしませんし、また、もう一度資産形成をやり直せばいいだけだからです。資産を築く方法は分かっているのですから。
もちろんそんな「悲観的すぎる」シナリオはほぼ無いと思いますが、私はそんなことを考えながら投資をしています。
■贅沢よりも欲しいものがある
定年まで働き続けてもいい。
贅沢が出来なくても、新車が買えなくてもいい。
一生、賃貸でも構わない。
それよりも、誇りある「経済的な自由」が欲しいです。
「お金が無くて働き続ける」のと、「資産があるけど、あえて働き続けている」では心理的に大きな差があるからです。
私は「経済的な自由」・・・『選択肢がある』という「心の自由」とも言えます・・・のために、投資を続けたいと願います。
20年でも、30年でも、40年でも。
一生をかけて取り組む価値があると思います。
投資をずっと続けていきたいですね。