こんにちは、シーラカンスです。
去年いっぱいで仕事を辞め、今は無職の状態にあります。
去年の11月末から有休消化に入り今に至るため、実際には1か月半以上仕事をしていないことになります。
今は前職の会社からの給料がありますし、1月末には退職金(12万円程度ですが)も入ります。直ちに株や定期預金をつぶさなくても、しばらくは食べていける状況であります。働いている時に、コツコツ備えておいてよかったです。
もちろん次にやりたい職業は決めてあります(トラック運転手からタクシー運転手になり、運転手としてキャリアアップしたい)し、次の転職に向けての準備や努力は進めています。
それでも「仕事をしていない」という状態には変わりないわけで・・・。
そこで私はふと、
「これってセミリタイアとかFIREに近い状況では?」
と感じました。
ある意味、疑似的にFIRE後の生活を体験しているのでは? と思い至ったのです。
そう考えたとき、私は「あ、私にはFIREは合わないな」と実感しました。
「私は一生、回遊魚のように動き続けていないと気が済まないんだ」と。
もちろん、本気でFIREを目指している人は素晴らしい。
ただ、私の性格上、合わないだろうな・・・と心底感じました。
■辞めたはいいけどつまらない
私・シーラカンスは去年まで、4トントラックの運転手として働いていました。
仕事を辞めたのは色々と理由がありますが、辞めたこと自体に後悔はありません。
仕事を辞めてしばらくは、精神的に消耗していましたから家でゆっくりしたり、お酒をたくさん飲んだりしていました。
平日に動き回れるのをいいことに、割引価格でカラオケ店で歌ってきたり、図書館に通ってみたり・・・。
ショッピングモールも混んでなくていいですね。
こういった感じでしばらく遊んでいました。
しばらくして気力が回復してきたら、道路地図を買って市内をクルマで回り、なるべく外に出るようにしていました。
次の仕事に備えて土地勘を身につけたいのもありますし、家にこもっていると気が滅入るからです。
あるいはスーパーで買い物に行き、夕ご飯を作ってみたり。
最近は寒いですから、ポトフや鍋物をよく作ります。
・・・こう読む限り、「うらやましい」「楽しそうじゃん」と思いますね?
私自身、仕事をしていた頃は、そう思っていました。
「仕事しないで遊んで暮らせたら」と・・・。
「FIREして配当で暮らせたら」と。
しかし、実際にそれに近い生活をしてみると、2週間もすれば飽きるものです。
そして、思うわけです。
「働きたい」と。
これは、自分でも意外なことでした。
■「熱情を持って打ち込めること」がないと暇でしかない
よく考えてみると、私・シーラカンスには
・「いくらでも時間が欲しい」と思えるだけの楽しみ
・「一生これをしていたい」というライフワーク
・「仕事を辞めて打ち込みたい」と思える熱情のある趣味
というのが無いのですね。ある意味、薄っぺらいのかもしれません。
私には、
・「仕事を辞めて大学に入ってみたい」
・「趣味のヨットで海外に出たい」
・「プログラミングの技術を高めたい」
・「日本一周をしたい」
・「ライブ目指して音楽活動したい」
といった、熱量のある趣味が無いのです。FIREを達成した人のブログを見ると、
・「ずっとやりたかったことを満喫」
・「暇すぎて飽きて再就職」
の2つにざっくり分かれているように思います。もちろん、「バリスタFIRE」(社会保険が賄える程度に働く)などもありますし、「資産不足でFIRE失敗」という例もありますが、大体この2つに分かれるかな・・・と感じます。
こう考えると、FIREで重要なのは
「FIREした後、やりたいことがあるか?」
なのかもしれません。
私にはこれが無いから、「暇」と感じてしまうのでしょう。
■「仕事せずに遊んでる」という罪悪感
あと、これは私が「失業中だから」かもしれませんが・・・。
「お金を払って何かするだけの生活」って心にグサッときます。
例えばカラオケ。平日の昼からカラオケに行けば、3時間で千円もせずに楽しめます。歌えば当然楽しいです。・・・でも、それってある意味当然じゃね? と。
「カラオケ」という娯楽を提供してくれるお店に行けば、そりゃ楽しいよねと。
あるいは回転ずし。大体2千円もあれば、それなりに楽しめます。
・・・何が言いたいか?
「稼いでいないのに消費して遊んでるだけ」という状況に耐えられないのです。
言い方を変えれば「資産を食いつぶしながら生きている」とも取れるわけです。
また、自分が何も生み出さず、「消費しているだけ」というのは、自分が思っていたよりも精神的にくるものがあるなあ・・・と感じます。
買い物すれば、お金がかかります。
カラオケに行けば、室料を支払います。
車で出掛ければ、ガソリン代がかかります。
その支払いは、自分が働いていた頃の給料であったり、それも尽きれば資産を切り売りして支払っていくわけです。
さらに言えば、私の家族は普通に働いています。
一方で私は無職の状態であり、稼いでいない。
家族は、
「私が精神を病んで退職したときは、再就職に1年かかった。だから大丈夫」
と言ってくれますが、罪悪感はどうしてもあります・・・。
もちろん「働く意欲」はありますし、履歴書を準備したりなどはしていますから、来月くらいには涼しい顔して次の職場にいるのでしょうが・・・。
謎に「罪の意識」を感じます。
あと、「ご近所の目」も気になりますね。
考えすぎだとは思いますが・・・。
■資産を食い潰す恐怖感
これがFIREであったなら、配当益や受取利息などで賄えるのでしょう。
でももし自分の資産が、配当金が出ない(配当再投資型)タイプの投資信託だけだったなら?
本当に、投資信託を切り売りできるの?
もし不況の時期に当たって、株価(という表現でいいのかな?)が下がってしまったら? それでも機械的に売却できるの?
個別株だったとしても、急に減配されてしまったら?
・・・不安は尽きませんね。
私の場合、資産は米国個別株がほとんどで状況は違いますが、「資産を切り売りする恐怖感」は同じではないでしょうか。
また、「FIREで資産を切り崩して生きる」と「失業中に貯金で生きる」でも状況は全然違いますが・・・。
これもある意味「資産を切り崩して生活する」ということを疑似体験している、と言えるのかもしれません。
そう考えると、私は、その生活に耐えられないだろうな・・・という結論に至りました。
おそらく、自分の性格では、精神的にやられてしまうだろうなと。
ゆえに、「FIREを目指すのはやめておこう」と強く思いました。
「FIRE」という響きには憧れていたけど、実際にそれに近い状況になってみると、
・「自分の性格に合わない」
・「意外と辛い」
・「暇なうえに罪悪感に苛まれる」
・・・と気付いたからです。
少なくとも、今の自分には適さないな、と感じました。
投資家として、また一つ勉強になりました。
■じゃあ今後どうするの?
結局のところ、私・シーラカンスは
「バリバリ働きながら、毎月コツコツ好きな株を買う」
というのが一番だろうと感じます。
そもそも私は「運転手の仕事が嫌」で前職(運送会社)を辞めたわけではありません。
むしろ私は「ハンドルの前」こそが、私の居場所だと思います。
トラックでも、バスでも、タクシーでも・・・。
何かしらの車両を運転して働くのが、自分に一番合っているだろうと感じます。
おそらく、私は定年まで運転に関わる仕事をするような気がします。
少なくとも、運転の仕事は「嫌ではない」(むしろ好き)からです。
自分にとって「嫌ではない」(あるいは適している)と思える仕事が分かっているのですから、無理にセミリタイアやFIREを目指すこともないのかもしれないですね。
・好きな株を「レアカード集め」のように楽しく買い続ける。
・国籍は問わず、自分が「いい!」と思ったら買う。
・あくまでも生活費は仕事で稼ぎ、生活費と資産は分けて考える。
・株は売却せず、ただただ毎月自分が好きな株を買い足すのみ。
・株は株、給料は給料。
・株は「コレクション」としてとらえ、あえて「資産」と意識しないようにする。
このやり方がいいかなと思っています。
■稼げるうちに備えると自分を救えます
もちろん、「仕事が充実していれば投資は不要」とは言いません。
むしろ、バリバリ稼いで、積極的に資産を作るのがいいでしょう。
資産は「選択肢」だからです。
少ないとしても株や貯金などの「資産」があれば、自分を救えます。
退職に追い込まれても、しばらくは食べていけます。
仕事で健康を害したら「他に移る」という道を選べます。
「選択肢がある」という事実そのものが、自分の精神を守ってくれます。
今の私・シーラカンスのように、失業しても落ち着いていられます。
私は米国株が好きで、少しずつ株を集めていました。
そして今、私のもとにある株たちが、精神的な安心材料となっています。
確かに、今の私の総資産は少ないです。
それでも全て売却すれば、コンパクトカーを新車で買えるくらいにはなります。
これは、月給何か月分でしょうか。
食費の何か月分? 家賃なら何か月まかなえる?
・・・そう考えると、安心できます。
最悪、無職の期間が続いても、株を手放せば飢えることは無いからです。
もちろん、なるべく売りたくないですが。
好きでやっていた米国株投資が、資金面から自分を支えてくれている。
「投資をやっていて本当に良かった」と実感しています。