こんにちは、シーラカンスです。
あなたはおしゃべりな人でしょうか? それとも無口な人でしょうか?
私、シーラカンスは「話し下手のくせにおしゃべり」です。
最近は「黙ること」「発音する前に一瞬考えること」と意識し、少しずつではあるものの「しょうもないこと」を言わずに済むようになってきました。
以前は脳で考えたことがそのまま垂れ流しになっていましたが、やはり、30歳に近づいてくると、多少は落ち着いてる感じを出さないとですから・・・。
あと、仕事中に、他の人にキレそうになることはありませんか?
特に、仕事熱心な方。ちゃんと仕事しない人に怒りたくなりませんか?
でもそれって、「言えば改善してくれるだろう」という、
「自分勝手な期待の押し付け」
かもしれませんよ?
今日はそんな「黙る能力」「他人に期待しない」についてです。
コロナ感染により仕事を離れている今だからこそ、普段の仕事について色々考えるチャンスと考え、思ったことを書こうと思います。
■「俺はコイツの上司じゃない」から
仕事をしていると、色々な人間に出会います。
良い人が大半ですが、挨拶も返さないようなオッサン、半端な仕事をしてこちらに尻ぬぐいさせようとする奴、いろいろいます。言いたいことはいっぱいありますし、何なら殴ってやろうかとすら思うことがあります。
でも、冷静に考えると、「他人に期待しすぎてない?」と、自分にも非があるように思うのです。
他人に何かを期待するということは、まだまだ自分の中に甘さがあるということだからです。私は、「まだまだ私は修行が足りない」と思うようにしています。
「スルースキル」が未熟なのでしょう。
ある意味、「他人に改善してほしい」「他人に言いたいことがある」ということは、「言えば変わるかもしれない」という、自分勝手な期待によるものと言えます。
・・・そんなわけないのにねぇ。改善するわけないじゃん。
相手の多くは既に50代、社会人生活を30年間過ごしていて、挨拶も返せない、周りに仕事を押し付けてでも手抜きしたい・・・という、いわば
「筋金入りのヤバい奴」
です。なまじ勤続年数が長いですから、上司も指導しにくいのです。また本人たちも、「定年まで逃げ切れればいい」「嫌なら辞めてやる」くらいの態度ですから、始末が悪い。
これで家庭を持っていたりするのですから、失礼ながら、「自分の子供に何を教えてるんだろう」と思わず邪推してしまいます。本人からして挨拶も出来ないのに。こんな人から学ぶことなど一切ありません。「反面教師」としては役に立ちますが。
こうした「筋金入りのヤバい」人に対し、何かモノを言ったところで、改善されるわけがありません。
だって、直す気ないのだから。
その年までそれで来ちゃったのだから。
しかも、それを「恥ずかしい」なんて思ってないから。
なんなら、「挨拶されても返さない」を、「ベテランの俺カッケー」「目下に挨拶など返す必要ない」と、自分のプライドを満たすためにやっている可能性すらあります。
きっと過去には、上司から指導されたり、他の同僚からキレて怒鳴られたり、他社から苦情が来たり、色々あったはずです。それでも直らないのだから。もうこれは、
「頭か性格が悪い」としか考えられないのです。
何かこちらが言ったとしたら、「直さなきゃ」ではなく、
・「言いがかりをつけられた」
・「喧嘩を売ってきた」
・「若いのが偉そうに」
としか、彼らは考えません。
あくまでも「自分は正しい」という姿勢を崩しません。
次の日から、あの手この手でこちらを失脚させようと躍起になるのは目に見えています。正直、私はそんな「地雷」を踏みたくありません。めんどくさい。
そもそも、私は彼らの上司ではありません。
役職も責任も立場もないのに、指導する義理などありません。また、そんな資格もありません。そんな給料だってもらってないのです。
よく考えてみると、私、その人たちに全然興味ありませんでした。
放置が一番です。君子危うきに近寄らず、です。
まあそれでも私から見たら、
・「挨拶を返さない」=「戦闘準備」
・「半端な仕事で放置」=「お前がやっとけ、という意思表示だな、よし分かった」
と解釈します。
つまり、「喧嘩を売られてる」と見なします。
喧嘩を買うことはありませんが、接触は徹底的に避けます。
言いたいことはあるけど、言うと逆恨みが面倒くさい。
私はあと30年、同じ会社で働かなくてはいけないから。
余計なことは言わない。少なくとも、私が言うべきことじゃない。
「黙る能力」、「黙る能力」・・・。「安全&忍耐」・・・。
どうせあと何年かしたら、いなくなる人たちだから・・・。我慢我慢。
「おかしいことを是正させる」、「正義を貫く」のは確かに素晴らしいでしょう。でも一方で
「無益な争いを避ける」
というのも、一つの技能だと思うのです。職場では「キレたら負け」ですから。
■「黙る能力」
あと、最近は意識して「黙ること」を心掛けています。
以前はそれこそ、脳内でひらめいたことを考えなしに発音していたので、後になって「言わなきゃよかったー!!」と悶絶していました。
「一人反省会」、「脳内人民裁判」、開催です。
最近は話す前に
・「わざわざ伝えるようなことか?」
・「自分の経験談を話して意味あるか?」
・「そもそも職場で個人的な話をする必要あるか?」
・「その話で相手は傷つかないか?」
・「そもそも私の話なんて聞かせてもしょうがなくない?」
・「それって本当に聞いていい、聞くべきことなの?」
・「聞かれたことに対し、そんなに長くしゃべる必要あるか?」
・「一言で済ませて、相手の話を聞いたほうが良くないか?」
などを一瞬考えてから話すようにしています。なかなかうまくできないことも多いですが、それでも少しづつ、成果を感じています。
今回のコロナで喉を痛め、大きな声が出なくなりました。
普通にしゃべるのもつらいです。
こうした状況になった時、いろいろ考えるものです。
「無駄なこと喋ってたな」と。
何を話し、何を話さずにいるか。考えて話せるようにならなくては。
特にお金や株については、内容によっては自分の身辺に危険が及びます。
嫉妬も怖いものです。侮ってはいけません。近くの人が突如「敵」になる恐怖。
「何をどれだけ持っている」という話題で、不要な反感や嫉妬心を持たれないよう、用心する必要がありますね。世の中、「貯金してる」「株を持ってる」、果ては「資格勉強してる」だけでも噛みついてくる人はいますから。
こちらのプライベートは明かさないに限ります。特に職場では。
特に投資家・資産のある人、これから資産を持ちたいという志のある人は、
・「黙る能力」
・「しゃべる・しゃべらないを選択する能力」
・「聞く能力(相手に喋らせる能力)」
を意識して磨くといいかもしれません。私も努力します。
■「聞く能力」
最近、こんな本を買いました。分かりやすくて良かったです。
基本的に人間は、
・「話したい」
・「聞いてほしい」
・「分かってほしい」
生き物です。話し上手な人は結構多いですが、「聞き上手」となると・・・?
あなたの周りの人で、「聞き上手」な人は? と聞かれたとき、パッとは思い浮かばないと思います。「話が面白い人」ならすぐ思いつくのに。
それはある意味当然です。「聞き上手」は、少ないからです。
「聞き上手」は、人から好かれます。
自分の話を聞いてくれるからです。
人間、「話を聞いてくれる人」は好きになるものです。
「聞き上手」に自分がなれれば、自分のプライベートを話さなくて済むうえに、相手が勝手に話してくれます。しかも、「信頼感」「好感度」も勝手に向上します。
逆に考えれば、
「自分の話をする」というリスク
を回避できるともいえます。
私はここに、魅力を感じています。
私は割とおしゃべりですが、話術がありません。
「話し上手」になるにはかなりの語彙力と話術が必要です。
しかし、「聞き上手」になるには、相槌と頷きで十分です。
相槌の語彙など、せいぜい100種類くらいでしょう。
「聞く」分には、語彙力はそれほど必要にならないのです。
「これなら私も出来そう」と思ったのです。
そのため、この「聞く能力」を身に着けたいと思い、最近意識しています。
・「他人に期待しない能力」(スルースキル)
・「黙る能力」
・「聞く能力」
これらの能力を磨き、仕事を続けたいですね。
これらの能力はきっと、一生ものの財産になります。
意識してみる価値はあると思います。