こんにちは、シーラカンスです。
昨日もらった賞与を証券口座に入金してきました。
金曜夜の米国市場で3銘柄の注文を出しましたが、1社だけ注文が通っていませんでした。買えたらまた新しい表とグラフを作ってお伝えします。
■仕事に「出る」・・・気楽に出社しよう
私は、「仕事に行く」というよりも、「仕事に出る」という言い回しのほうが、なんだか好きです。多分、ちょっと昔風な表現だとは思いますが。
仕事に「行く」場合は、会社に仕方なく行くイメージです。主導権は会社。
仕事に「出る」だと、呼ばれたので「出動」するイメージです。本拠地はあくまでも自宅で、そこから出ていく感じ。昔の畑仕事のような・・・。うまく伝わるでしょうか。
「出る」のほうが、会社に人生を捧げていない感じがして、好きです。
仕事も「とりあえず顔を出しに行く」「知ってる人に会って回る」くらいの緩い心境で行くようにしています。
思いつめず、「仕事に出て、顔を出して、帰ってくるだけのことだし」と気楽に出社するようにしています。
とりあえず、タイムカードをガチャンとやって、トラックで出発すれば格好はつきます。
■「仕事」に呑み込まれたくない
仕事なんて、ただの役割です。そういう演劇です。
私はトラックの運転手(定期便のドライバー。毎日同じ工場を回って、荷物を集めたり配ったりします)ですので、そのように演じます。
各工場を回り、着いたら元気に挨拶して、愛想を振りまいて、荷造りして、フォークリフトで積み下ろしして、出発していきます。工場の出荷係の人たちも、荷物を準備したり、伝票を作ったりと、その役割を演じます。
役作りは大切ですが、役に吞み込まれてはいけないと思います。
深入りしすぎないように、越権行為(おせっかいとも言います)をしないように、自分を見失わないように・・・を心掛けています。
仕事にのめり込みすぎないように、気を付けています。
たかが賃金労働です。熱くなってはいけません。周りが見えなくなります。
■残念な同業者
たまに、納入先の工場や物流センターで変に威張っている運転手がいます。仕事へのプライドがあるのか何なのか知りませんが、職人ぶっちゃって・・・。
傍から見ていると、同業者として恥ずかしいものがあります。熱心に仕事をしていれば、威張っている暇などないはずです。
暇なのか、かまってほしいのか・・・。私の場合、即座に距離を取ります。かまってあげるほど優しくもないですし、そんな暇もありません。そもそも、私の人生には関係ありません。自分の機嫌は自分で取っていただきたい。
そういう残念な同業者たちも、ある意味「仕事に呑み込まれている」と言えます。
自分のアイデンティティが仕事とごっちゃになってしまっている。家に居場所がなく相手にしてもらえないから職場で威張っているのだろう、と邪推してしまいます。
狭い物流センターや工場、会社内で、見るに堪えない・・・。自分を客観視する能力がないのでしょう。
「プロ」である以上、「やるべきことは完璧に仕上げる」は第一ですが、同時に「変なプライドを持ち込まない」ことも心がけています。
■あくまで「私の」人生
会社で働くのは食べていくためです。会社の為じゃありません。
所詮は他人の会社で、私はそこの単なる使用人。
あくまでも主役は「私」です。食べるために必要だから仕事に出ているだけ。
仕事自体は好きだけど、会社に忠誠を誓うことまではしません。
あくまで時給分は仕事しますが、お金にならないことはしません。
「プロ」だから。「ボランティア」じゃないから。
その軸がブレないよう、頑張りすぎないよう、日々心掛けています。